紀元前221年、秦の始皇帝は六つの戦国を統一し、中国初の統一王朝である秦王朝を樹立しました。始皇帝は中央集権体制を強化し、度量衡や貨幣、文字の統一を進め、万里の長城を築くなど多くの改革を行います。しかし、彼の死後、厳しい統治政策に反発が広がり、反乱が勃発しました。

紀元前206年、秦王朝はわずか15年で滅亡し、劉邦(漢の高祖)と項羽の間で楚漢戦争が勃発しました。この戦争は4年間続きましたが、劉邦が最終的に勝利し、紀元前202年に漢王朝を樹立。劉邦は都を長安に定め、内政の安定と領土の拡大を図りました。

漢王朝の初期には、文帝と景帝の治世で「文景の治」と呼ばれる安定期が訪れました。この時期には農業の奨励と税の軽減が行われ、経済の回復が図られます。さらに、漢の武帝の時代には、積極的な対外政策が展開され、匈奴との戦いをはじめ、シルクロードの開拓が進みました。

漢王朝は約400年間続き、その統治期間中、中央集権体制が強化され、儒教が国教とされるなど、中国の歴史と文化に深い影響を与えました。これにより、漢王朝は中国の基礎を築いた重要な時代として位置づけられています。