南北朝時代(420-589年)は、中国史における分裂と動乱の時代です。この時代は、北朝と南朝という二つの異なる政権が並立していた時期を指します。南朝は、江南を中心に宋、斉、梁、陳の四つの王朝が続き、北朝は、北魏、東魏、西魏、北斉、北周といった王朝が交替して統治していました。
南北朝時代の始まりは、東晋の滅亡により南朝宋が成立したことに始まります。南朝は漢族が主体であり、経済的には江南の豊かな農業地帯を基盤としていました。一方、北朝は異民族の影響を強く受け、特に北魏は鮮卑族によって建てられます。北魏は漢化政策を進め、中央集権化と戸籍制度の整備に力を入れましたが、その後の東魏、西魏への分裂や、さらに北斉と北周の成立と続く政権交替が相次ぎました。
この時期、南北間の対立と戦争が続く一方で、文化的交流もさかんに行われます。特に、仏教の広まりは両朝に共通しており、仏教寺院や彫刻、経典の翻訳が盛んに行われました。また、南朝では文学や絵画が発展し、謝霊運や陶淵明といった詩人が活躍しました。
589年、隋の文帝楊堅(後に隋の初代皇帝)が陳を滅ぼし、中国を統一しました。隋は北周の将軍であった楊堅が北周の皇位を簒奪し、隋を建国したことから始まります。楊堅は即位後、迅速に国内の統一を進め、中央集権的な官僚制度を整備し、戸籍制度の再編を行いました。また、大運河の建設を開始し、南北の交通と経済交流を促進。中華は新たな時代を迎えようとしていたのです。