三国時代の終わりから五胡十六国時代までの時期は、中国史において非常に動乱と変動の激しい時代でした。三国時代(220-280年)の後、魏の司馬氏が晋朝を建て中国を統一。しかし、晋朝は内部の権力闘争と外敵の侵入によって安定を保つことができません。八王の乱(291-306年)という大規模な内乱が発生し、晋朝は大きく弱体化しました。
この時期には、気候変動も重要な要素となりました。寒冷化が進行し、農業生産が低下したため、頻繁に飢饉が発生します。これにより、社会の安定が一層損なわれました。また、北方や西方からの異民族、特に匈奴、鮮卑、羯、氐、羌の五胡と呼ばれる民族が侵入し、中国北部の支配を次々と占領。これらの民族が各地で王国を建てたため、五胡十六国時代(304-439年)と呼ばれる小国分立の時代が到来したのです。
五胡十六国時代は政治的な混乱の時代である一方で、文化的には重要な変革が起きました。異民族の影響で、中国文化は多様化し、新しい文化要素が取り入れられます。特に仏教がこの時期に広まり、仏教文化が中国に深く根付くようになりました。異民族の支配者たちは仏教を保護し、寺院の建立や仏教経典の翻訳が進みました。
この時期にはまた、技術や芸術にも影響が及び、異民族の技術や文化が融合し、新しい工芸品や建築様式が生まれました。五胡十六国時代の混乱は、後の南北朝時代(420-589年)の始まりを予告するものであり、やがて隋朝による再統一へと繋がっていくのです。